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妻との別れ (Epilogue)

テレビドラマなら前回で終わりだが、現実はそうはいかない。


確かに妻の人生は幕を閉じたが、遺された家族には新たな幕のスタートとなる。


妻が逝った瞬間、私は喪主になった。

つまり、何日後かに行なう通夜と葬儀の責任者となった訳である。

そんなことまで考えていなかったから…、何をしていいか分からないから…、といって先送りすることはできない。

限られた時間の中でやらなければならないのである。


もっとも哀しく、もっとも寂しいはずの人間がそういった立場に追い込まれる。

臨終とはそういう場面であった。


妻が逝った際、私は泣かなかったと思う。

家族皆が泣いていたからなのか、自分の身を守るために心を閉ざしたのか分からないが、泣かなかったと思う。



看護士が遺体を自宅に搬送する業者を紹介してくれる。

看護士たちの手で妻はきれいにされ、葬儀会社の車で自宅に運ばれる。


妻の亡骸は客間に寝かされ、私はこの後、しなければならないことを葬儀会社の人から教えられるとともに、通夜と告別式の打ち合わせを行なった。


転勤族だった我が家にとっての最大の問題は“お寺”だったが、知り合いの方の紹介を受け、すぐに会ってもらえ、通夜と告別式にも出てもらえることになった。

妻の友人・知人への連絡、次々と訪れる弔問客の応対、自治会の方たちや葬儀会社と打ち合わせ、妻の両親と義妹家族、私の妹家族の宿泊手配、出迎え。


手配に追われ、お通夜までは、あっという間だった。




妻が家に戻ってきた夜、私は、妻の両親と一緒に、妻のいる客間で寝た。

お寺の手配も終わり、張り詰めていた糸が切れたのだろう、妻が逝ってから初めて泣いた。布団の中で号泣した。

あまりの激しさに、妻の両親が驚き、私を慰めてくれた。

子どもに先立たれた虚しさは相当大きいはずなのに、私を慰めてくれることが申し訳なかった。妻を死なせてしまったことが申し訳なかった。



翌日、休んでよいという私たちの声を振り切り、子どもたちは二人とも学校に行った。

娘は、担任に、母が死んだことを皆に言わないようお願いしていた。

理由を尋ねると「いちいち説明するのが煩わしいから」と答えたが、理由はそれだけではないと思う。



また、娘は、昔からお世話になっている牧師さんが弔問に訪れた際、「我慢しなくていいんだよ」と言って抱きしめようとするのを身を反らして拒んだ。

周囲の人は「我慢して可哀想」と言ったが、可哀想ではなかった。

娘には娘なりの哀しみの昇華方法を取っていただけだった。




その晩、息子が、妻と一緒に寝たいと申し出た。

私は場所を息子に譲った。


息子は一晩泣き明かした。

しかし、通夜でも告別式でもまったく泣かなかった。

この晩泣き明かすことで、彼は母親への別離を終えた。




通夜と告別式には驚くほど多くの人が訪れた。

社交的ではなく、どちらかというと人見知りをする、パートタイムのナースにしては考えられない数だった。

妻が学校で読み聞かせのボランティアをしていたこともあるが、これだけ多くの人が参列してくれた理由は他にあった。

裏表のない誠実な人柄に惹かれた方たちが、妻の死を悼み、見送りたいと集まってくれたのだった。





妻の人柄を表すエピソードがある。


あるとき、我が家の近くで交通事故があった。

急ブレーキの直後、ドーンという音がした。

私、妻、父の3人が現場に駆けつけると、女性が車にはねられていた。

私と父、現場にいた他の男性数人で車を路肩に移動させた。


現場にいた他の人々が呆然とするなか、妻は迷うことなく、はねられた女性に駆け寄り、人工呼吸を行なった。

全身血だらけになりながら、救急車が到着するまで、必死に人工呼吸を続けた。

残念なことに、結局その女性は亡くなったが、私は、改めて妻の愛情の深さを思い知らされた。


妻は、ナースだったから即座に人工呼吸を行なったのではない。

「絶対に助けたい!」その思いが、瞬間、妻の理性を吹き飛ばし、鬼気迫る人工呼吸に及ばせたのである。

妻は本当に底知れぬほど愛情の深い人だった。






多くの人に見送られ、妻と私たちは斎場を後にした。



焼き場の蓋が閉められるとき、耐え切れず、私は崩れた。

もう絶対に戻って来れない、本当のお別れのときだった。



こうして、妻は骨になった…



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○○さんへ

コメントありがとうございます。
結論から言うと、同じではないです。
私たち夫婦は、空気というか、入り交じる水のような、関係でした。
互いに絶対的な信頼を置き、隠し事は一切無し。出かけるのはいつも一緒。
この関係を14年続けましたから、同じ訳がないでしょ?
妻は私にとって特別な存在なんです。
それは、彼女とご主人も同じだと思います。
この点が問題にならないのは、やはり互いに死別者同士だからなのかな?
逆に一般の人に理解してもらえないのは、死別のプロセスを経験してないからなのでしょうね。

No title

私も当然喪主となり、すべての手配を自分でしました。
夫は6人兄弟の5番目で跡継ぎ。
兄二人、姉二人、弟がいて、みんな私の親位の年齢。
でも、口を出さない代わりに手も出さないタイプ。
やりやすくていいとも言えるのですが、
告別式の挨拶等、すべて自分で考え、
PCで印刷して持って行ったことを思い出します。
夫が亡くなったその夜、夫を家に連れて帰れる時間になるまで、
私が病院に残ることになり、
息子達は親戚に自宅へ送ってもらったのですが、
その途中で交通事故に遭いました。
相手側の過失で、車の損傷の割には、
誰もたいしたケガをしませんでしたが、
私は 神様(宗教はもってませんが)に見放されたと思いました。
ただ、命に別状がなかったのが、本当に不思議で、
その事故現場が、夫の会社の門の前だったのです。
私は夫が亡くなった時も、お葬式の時も、それ以降も、
夫の死に関しては、今も泣けないままです。
一度だけ どうしようもない気持ちになったときに
私の話を聞いてくれたのは、
ネットで知り合った友人でした。
身近な人には 素直に気持ちを打ち明けられなくて。
それは 今もです。
もともとの性格もありますが、
職場では 必要最小限の会話しかしません。
同僚の旦那さんの話とかはニコニコ聞いていますが、
私が何か言うことで、話が盛り下がるのがいやなので、
あんまり加わらないようにしています。
とりとめのないことをごめんなさい。
読ませていただいていて共通するところが多いので、
毎回、ついつい書いてしまいます。ぺこ <(_ _)>

No title

以前、同じ職場の人が何の前触れも無く倒れ、意識不明のまま二ヵ月後に亡くなった事があります。
僕はその人が好きでした。
葬儀の日、彼女の棺の前で僕は泣いてしまいました。
本当は一番悲しくて切ない思いをしているのは彼女の旦那さんのハズなのに。
僕は自分を恥じました。
それ以来、(幸いなことに)人の葬儀では一度も泣いていません。
それまで葬式というのは、やたらと遺族がしなければいけないことが多すぎて煩わしいと思っていましたが、これを機に考えが変わりました。
忙しく動き回ることで、少しでも悲しみを遠ざけることが出来るんですよね。

ポッキーさんへ

コメントありがとうございました。
ポッキーさんも同じ思いをされていて、私だけではないと知り、ホッとしました。
しかしお子さんの交通事故にはびっくりしました。ポッキーさんはずっと大変な思いをされたのですね。
死別者の恋愛について批判的なコメントが少なからずあったことが、この「妻との別れ」を書く契機でした。
死別者が経てきたプロセスを理解しないかぎり、死別者の恋愛も理解できないと考えたからです。
ポッキーさんも頑張ってください。

続onpさんへ

コメントありがとうございました。
私は泣いてもいいと思いますよ。
今回この「妻との別れ」を書いていて、“悼む”という言葉を再認識しました。
泣くこと、言葉をかけること、祈ること…。方法はどうであれ“悼む”ことが大切なのであり、その気持ちは必ず遺族にも伝わると思います。
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