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妻へのジェラシー

9月15日のピロートークでの話をもう一つ…。


フェラでなかなか私がイカないことに対し、『あなたのせいじゃないよ』という意味で


「昔はフェラでイッたけど、嫁さんが亡くなってから理緒さんと結ばれるまでのセックスレス期間中に体質が変化したのか、凄くイキにくくなった」


とフォローしたのですが、それに対する彼女の返答は


「奥さんとは口でイッたんだ…。ちょっとジェラシー…」


という意外なものでした。


私自身は“彼女のご主人に嫉妬する”ということはまったくないので、彼女がそんな感情を抱いたことにちょっとビックリ。(^^ゞ


嫉妬されて嬉しい気持はありますけどね。(笑)



イメージが重なる…

「ときどき、旦那と(Brenneckesさんの)イメージが重なることがあるの…。気分悪くしたらゴメンね」

箱根旅行の際、彼女がふと洩らした言葉である。


「いや、全然気分悪くなんかならないよ。別に不思議なことじゃないと思う。

私も、ごくたまにだけど、嫁さんと重なることがある…」




死別者との恋愛でのキーポイントはここだと思う。




彼女のご主人とはもちろん何度も顔を合わせたことがあり、言葉も交わしている。

186cmの私まではいかないが、背が高く、全体的にガッチリとした体格の人だった。

性格面では、如才ないタイプではなく、自分の感情に正直な人という印象だった。


大柄で、ストレートな性格という点では共通している部分がある。



そもそも、好きなタイプとか、好きになるポイントは変わらないので、イメージが重なる部分があるのは当然だと思う。



妻と彼女の共通項は、色白の美人で、愛情が深いこと。

当初は彼女を社交的な女性だと思っていたが、付き合いが深まるにつれ、実は人付き合いがあまり上手ではないことが分かってきた。

これも妻と似ている点だ。




繰り返すが、死別者との恋愛でのキーポイントはここだと思う。




もちろん、死別者のほうも、現パートナーの前ではできるだけ亡きパートナーの話はしない、比較をしない等、配慮の必要がある。


しかし、死別者は嫌いになって別れた訳ではないので、亡きパートナーへの想いがずっと続くことは避けられない。


この想いを受け入れてあげること、この想いも含めて相手を受け入れることが、死別者との恋愛成就の条件だと思う。



再婚

私も彼女も、職場の親しい人たちには、新しいパートナーとお付き合いしていることを打ち明けているのだが、その人たちから

「いつ再婚するの?」

と尋ねられることがよくある。


そんな時は決まって

「二人とも全然考えてないから…」

と答えるのだが、世間一般では、付き合っているのだから再婚するのは当たり前と考えられるのだろう。



しかし、私と彼女の間で再婚の話が出たことは一度もなく、互いに再婚の「さ」の字も口にしたことはない。


理由はいくつか考えられるが、まず第一に、この年齢になると、互いに子供も大きく、親もそれなりの年齢となるし、互いの家庭で積み上げてきた様々な物事もあるので、好きな気持だけでは結婚できない。


第二に、ようやく現在の関係まで進展した私たちにとって、再婚を話題にすることでデリケートな状態が壊れてしまうことが怖いという思いがある。


第三に、互いに先立たれたパートナーと長く結婚生活を送ってきたため、イメージできないこともあるだろう。



しかし、それより何より、二人とも再婚を望んでいないことが一番の理由なのではないかと思う。


確かにデートの翌日でもまた逢いたくなることがあると彼女が洩らしたこともあるし、私自身、彼女に逢いたくて仕方ない時もあるが、その結論が結婚とは限らないと思う。



互いの子どもたちが巣立った際には心境の変化があるかも知れないが、少なくともそれまでは現在の関係を続けていくことになると思う。



死別者の恋愛

このところ彼女と頻繁に会って営んでいるためか、「亡くなった奥様が可哀想」というような主旨のコメントも少なからずいただくようになった。

良い機会なので、かなり前に書いたがアップするか否か迷っていたこのエントリーを書き上げ、アップすることにした。




妻が死去して1年、彼女と付き合うきっかけになった彼女宅訪問の前、日頃色々と相談に乗ってもらっていた知り合いの女性から

「今後Brenneckesさんが恋愛をすることは難しいだろう」

と指摘された。



この女性によれば、

「自分では気付いていないかもしれないが、Brenneckesさんは、言わば奥さんの身代わりを探しており、身代わりにされて嬉しい女性はいない」

また、

「常に奥さんと比較されることになるし、奥さんは亡くなっているから、良い想い出しか残らずない。比較される女性は不幸だ」

とも。



こうやって文字にすると、この知り合いの女性がとても冷淡な人間と誤解されるかもしれないので予めお断わりしておくが、実際はまったくの逆で、非常に思いやりがあり、優しい女性で、故に私も相談相手になってもらっていた。


この後、“精神的な寄りかかり先”を失った私はうつ病と診断されるのだが、ちょうど精神的迷走の気配を見せ始めていた頃で、私を心配するあまり発した言葉である。


当時は、再婚はもちろん、女性を好きになることなどあり得ないと思っていたし、自分がどんな精神状態なのかすら把握できなかったので、この言葉に納得しようはずもなかった。


しかし、うつ病を脱し、彼女と何度も会うような関係になってくると、この言葉が気にかかるようになる。

「自分は彼女を妻の身代わりにしようとしているのか?」


私は彼女を尊敬しているので、そんな失礼なことはしたくない。


これが彼女に対する自分の気持に自信が持てなかった理由の一つだった。



彼女との関係がここまで進んだ今、自分の中では彼女を身代わりにしている感覚はまったくない。

妻と彼女は、色白の美人で愛情深いという点を除けば、容姿も性格も趣味も全く異なるからだろう。

自分が「やってしまうのではないか?」と恐れていた“精神的な寄りかかり先”にもしていない。


ただし、身代わりにしていない代わりに、亡き妻への思いも消えていないし、おそらく消えることはないだろう。


これは私だけでなく、彼女も同じだ。



私たちは、相手の心の中に今もパートナーがいることを認め、心の中のパートナーをひっくるめたうえで相手を受け入れている。


これは互いに死別であるが故に、相手の事情もよく理解でき、自然に受け入れられるのだろう。



私と愛しあうようになってから間もない頃、彼女が「不思議と、ご主人や私の妻に対してやましい気持がない。むしろ喜んでもらえているような気がする」と洩らしたことがある。


これも“残された者の勝手な言い分”と取られる向きもあるかもしれないが、彼女も上のように思っていることをここに記しておきたい。



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