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妻との別れ (2)

珍しく仕事から早く帰ると、中2の娘が夕食の用意をしていた。

妻の具合が悪いらしい。

すぐに様子を見に行くと、ひどく頭痛がするとのこと。痛がり方が尋常ではなかったため、本人は嫌がったが、無理やり病院に連れて行く。

しかし、当直医の専門外ということで、翌日婦人科を受診するよう言われる。


翌日婦人科を受診し直すも、主治医が不在だったため、ここでも原因が分からず、さらに翌日、今度は主治医の診察を受ける。

ところが、主治医にも原因は分からない。
とりあえず自宅療養で様子を見ることとなったが、帰りがけに念のためCTを撮る。

当初は検査結果を後日知らせてくれるという話だったが、もう一度主治医のところに行くよう技師に言われる。

壁には検査画像が貼られ、同席の脳外科医が「脳に転移している」と告げた。


「私、死にたくない!! 子供がこんなに可愛いのに!」


妻が泣き崩れる。


しかし、後にも先にも妻が取り乱したのはこの時だけ。本当に芯の強い人だった。


主治医がすぐに入院するよう話し始める。

家のことや入院準備を理由に先伸ばしにしようとする妻を押し切り、入院をお願いする。

パジャマや身の回り品を用意するため、いったん私だけが帰宅するはずだったが、私だけには任せられないと妻も付いてきた。



4度目になるので、妻は慣れた手つきで入院用の荷物を手早く整えたうえ、子供たち宛てに夕食のレシピとメッセージをしたためた。

≪再び入院すること、しばらく帰れないこと、ご飯をきちんと食べ、戸締まりをしっかりすること、元気でいること…。≫

これが子供たちへの最後の自筆メッセージとなった。



病院に戻り入院手続きを終え、その日は面会終了時間まで病室で過ごしてから家に戻った。


家では娘と息子が待っていたが、4度目ということで入院に慣れてしまったせいか、心配しているそぶりはあまりなく、ホッとする。




翌日も会社を休み、病院に行く。


病室に行く前、主治医に会うよう言われていた。

このパターンは、悪い宣告を受けるときのものだ。3度目にもなるとさすがに分かる。


主治医から

脳に転移したこと、
脳には抗がん剤が効かないこと、
ましてや放射線治療もできないこと、
今後は痛みを和らげる緩和ケアになること、
そして

“1ヶ月はもたないであろう”こと

を伝えられる。



全身への転移を告げられた際、この日が来ることを覚悟していたからだろう。

それに、この後すぐに妻の元へ行かなければいけない(=気付かれてはいけない)こともあり、宣告のショックから立ち直るまで、不思議とそれほどの時間はかからなかった。



病室に行く前、会社に電話を入れ、上司に事情を報告した。

とりあえず翌日出社し、今後のことについて協議することになった。



妻は食欲が無く、病院食を1、2割しか食べられなかった。

上半身を起こすことも難儀し、昨日ベッドに上がって以来、一度も降りられなくなった。


妻にはタイマー制御により一定間隔で痛み止めのモルヒネが投与されている。

それでも数時間おきに不定期で、泣き叫ぶほど大きな痛みが妻を襲い、そのたびに私はナースコールのボタンを押し、
ナースが大量のモルヒネを投与した。

妻が苦しんでいても何もできなかった。ただ背中をさすり、慰めることしかできなかった。



その日も面会終了時間まで病室で過ごし、帰宅した。


家に着く前、路肩に車を停め、遠方に住む妹に電話を入れた。

誰かに話さないとおかしくなりそうだった。

電話の向こうで妹も泣いた。

辛いだろうが、子供たちのためにも、妻のためにもがんばってと妹は激励してくれた。



こうして“妻の最後の17日間”の2日目が終わった。



(3)に続く

コメントの投稿

非公開コメント

ごめんなさい

ごめんなさいm(__)m
きっと ブレネックレスさんの方が この内容を更新するため 胸がえぐられるような想いをなさっているでしょうが 私には何の慰めの言葉も 励ましの言葉も想い浮かばないです(_´Д`)
ただ 涙が後から後から溢れて 最後まで読むのに時間がかかりました。
奥様のお気持ちを思うと 同じ母として 胸が押し潰されそうです。 でも 私は当事者ではありませんから 何を伝えようとしても 上っ面だけのような気がします(ノ-_-)ノ
冷静になってから もう一度お邪魔します

毎日のように更新される、愛情溢れる理緒さんとのやりとりの内容に、羨ましく微笑ましく、楽しみに読ませて頂いていた一人です…
前回と今回…の内容は…
他者には計り知れない、苦悩が綴られていて…悲しくて辛くて、なんてお声をかけてよいのか…言葉がみつからないのです…
でも、辛いけれど綴らなければならないと思われたこと…
わかるような気がします…

みこママさんへ

あやまる必要はありませんよ。
それに気の利いた言葉も…。
お気持は充分に感じています。(^_^)
完結するまで、暖かく見守っていただければ、それで充分です。

ミキさんへ

初カキコありがとうございます。
しかも、こんなにコメントの書きづらいネタの時に…。
みこママさんにもコメントしましたが、特別な言葉は要りません。
ただ「読みました」と言っていただければ、それで充分、心の支えになります。
私の気持、妻の気持、そしてそれを知ったうえで付き合ってくれている彼女の気持の理解に繋がれば…と思っています。

No title

読ませていただき、私も当時を思い出します。
でも、それで 改めて辛い思いをしているかというと、
そうでは ありません。
以前は 夫の亡くなった病院のそばを通るだけでも辛かったけれど、
だんだん平気に なりました。
当時は 周りの人々の言動すべてが冷たく思え、
拒絶し、敵視さえし、自分は 一人ぼっちだと思っていましたが、
それも だんだん氷解していきました。
ただ、全ての事に対し、期待しない癖がつき、
それは 今も そのままです。
悪い結果を予想しておけば、ショックが少ないですもの。
夫が亡くなった時もお葬式の時もそれ以降も、
感情を殺して 泣く事もできなかった。
その後、ウツ症状で通院した事もあります。
今 お付き合いしている彼もまたウツの経験があります。
そんな二人だからこそ、支え合っていこうと思えるのだと思います。
出逢って、夫婦となって、お互いが 老齢になるまで 添い遂げられるのが 一番ですが、
意に反して それが 出来なかった場合、
残された者が どう生きていくか、それは 難しいですよね。
夫が亡くなったとき、それと同時に私の命が亡くなっても、
私は それは それでかまわなかった。
でも、子供もおり、それが許されない状況で、
支えになるものが何もなければ地獄です。
世間の方から夫に対する裏切りと取られても、
世間が私を支えてくれるわけではないのですもの。
思い出だけにすがって、泣き暮らしていくことを
夫も望んではいないと思っています。
ごめんなさい。
コメントとしては 全く適切ではなかったかもしれません。
でも、書かずには いられませんでした。
また 訪問させてくださいね。

そうですかぁ

そのようにおっしゃっていただきありがとうございますm(__)m。
分かりました。
最後まで 拝見させていただきます。
彼女さんとの 出逢い(以前からのお知り合いでは、ありましたが)・進展は 明るい光ですよね…

ポッキーさんへ

適切ではなかった なんてとんでもありません。
あ~、ポッキーさんも同じ思いをされたんだなぁとホッとしました。
私も妻の死後しばらくはショッピングセンター等、人出が多い場所に行くのがイヤでした。
子どもを連れた母親を見ると、子どもたちが不憫なのと、妻が可哀想で…。
私も一緒に死にたいと思いました。
この先生きていく楽しみがなくなってしまったので…。
でも、妻は子供を私に託して逝ったので死ぬことはできません。
それでも、子供たちが二人とも所帯を持ったら、ゴメンナサイして妻の元に逝かしてもらおうと思っていました。
ポッキーさんのお気持ち、よく分かります。
精神的に壊れかけ(私は壊れましたが)、ようやく這い上がって掴んだロープなのですから、決して離しませんように。
理解すら難しいのですから、ロープを投げてくれる人などそうそういませんから…。

みこママさんへ

ええ、ぜひ最後まで 読んでください。
彼女とのことも、決して相手を探していた訳ではなく、たまたま彼女も同じ境遇になり、たまたま何回かプライベートで会うようになったが故です。
ですから、この偶然が重ならなければ、もちろん私は今も独り身のままです。
運命のいたずらに感謝です。
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