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死別者の心理(2)-千差万別-

妻に逝かれる前にも、いくつか死別は経験してきた。


中でもいちばん大きかったのは、中学・高校時代ずっとつるんでいた親友を大学時代に失ったことだった。


葬儀の際、多くの人がすすり泣く中、私は送辞を読んだ。

しかし、何故か私は泣かなかった、というか、泣けなかった。

『彼の死を実感できない』と思う一方で、『自分は、人の死に感情を左右されない冷淡な人間ではないのか?』という思いを持つようになった。



その後、母方の祖母、父方の祖母、伯父の葬儀でも泣くことはなく、ますますその思いは強くなった。




そんな私も、妻を亡くした際には泣いた。

逝った直後に泣くことはなかったが、弔問客に事情を説明する度に涙が溢れ、その夜は布団の中で号泣した。


葬儀で棺に釘が打たれる際、焼き場の竈が閉まる際には崩れ落ちた。

その後も1年以上は妻を思い出す度に涙した。



涙の大半は、自分のためではなく、妻のために流したものだった。

大好きな子どもたちを遺して逝った妻の心情を思うと涙が止まらなかった。

そして、もう妻とは会えないと思うと、寂しくて仕方なかった。




葬儀の後、妻のことで娘が泣くことはなかった。

最後の1年半、妻は入院することが多かったので、娘の心の中では、妻はまだ入院しているらしい。そうやって自分の気持の整理を付けているのだ。




一方の息子は、授業中に突然泣き出す出来事があったうえ、中学2年時には無気力状態となり1年間を棒に振った。

しかし、高校入試を控え、ようやく自力で立ち直る。

息子が大きく変わった点は、宗教をまったく信じなくなったこと。

『神や仏がいるなら、なぜ母を殺した? 母を救えなかった神や仏を信仰するなどナンセンス!』

息子の言動を見ていると、彼がそんな風に思っているように感じる。




私が失ったのは“妻”であり、“母親”ではない。

ゆえに“母親を失った子どもの気持”は分かってあげられず、父親でありながらも適切な慰めや激励はできなかった。




前回述べた『死別の哀しみは千差万別で、人によって異なる』というのは、こういうことなのだと思う。



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たしかに

それぞれの心の中に、
それぞれの思われ方で、
人って存在するんですね。
だから、哀しみも一つじゃない。
ひとつ屋根の下で、
奥さんを失ったBrenneckesさんの哀しみと、
お母さんを失った子供さんたちの哀しみが、
輻輳していくのは相当なことですね。
特に息子さんの立ち直りが何よりです。

hiroさんへ

ありがとうございます。
確かに息子が立ち直ってくれたことは救いでした。
このエントリーで言いたかったのは、それだけ死別直後の人の気持を理解すること、ましてや的確な言葉をかけることは難しいということです。
人の言葉ではどうともならない、時間しか解決できない段階があるのです。

。・(>_<;)・。

あー。だめ。
どうしても彼や彼の子供達のことと重なってしまって。
娘さんの成人式の晴れ着姿、息子さんの就職等々、、、成長の節目ごとに思い出してしまいますよね。
それとね。
夜。ひとりで寝る時が一番寂しいって。
夫婦揃った人が羨ましくてしかたないって言ってました。

メグさんへ

確かに節目では『妻が生きていたら…』と感じることが多いです。『こんな立派な姿を見たかっただろうなぁ…』と。
私の場合、寝る時よりも、帰宅してから寝るまでの間のほうが“一人になったこと”を身につまされて辛かったですね。
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